日本GP金曜日FIA記者会見

2010年10月09日(土)
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出席者:ノルベルト・ハウグ(メルセデスGP/チーム代表)、ロバート・ファーンリー(フォース・インディア/ディレクター)、アダム・パー(ウィリアムズ/チーム代表)、フランツ・トスト(トロ・ロッソ/チーム代表)、安川ひろし(ブリヂストン/モータースポーツ推進室室長)

Q:まず、チーム代表の全員に。来年のエンジンと今年のエンジン使用数についてお聞かせください。シーズンが終盤に差し掛かり、8基のエンジン使用制限に不安はありますか、フランツ?
フランツ・トスト(以下、トスト):トロ・ロッソはフェラーリとの協力体制を継続する。来年はフェラーリ製のKERS(運動エネルギー回生システム)も使用する。エンジン使用数については計画通りだ。明日、鈴鹿では新しいエンジンを使用する。このエンジンでサン・パウロを戦い、アブダビと韓国ではモンツァで使用したエンジンを使う。全て計画通りだ。

Q:それは両ドライバー共にですか?
トスト:どちらのドライバーも同じだ。

Q:ロバートはいかがですか?
ロバート・ファーンリー(以下、ファーンリー):そうだ、僕らのエンジンにも問題はない。うれしいことにこれからの数年はまたメルセデスとエンジンで協力するし、今年のエンジンにも問題はまったくない。

Q:ノルベルトは?
ノルベルト・ハウグ(以下、ハウグ):同じだ、まったくね。計画したまま計画通りに進んでいる。これまでのところ全て順調だ。フォース・インディアのトニオ・リウィッツィ(ビタントニオ・リウッツィ)のエンジンが計画通りにいかなかったのは残念だ、それを除けば全て前からの計画通りだ。
 
Q:彼は計画から外れたということでしょうか?
ハウグ:いや、違う、何の問題もない。
 
Q:アダムはいかがですか?
アダム・パー(以下、パー):来年もコスワースだし、今年のエンジンも良かった。

Q:バリチェロのエンジンに今日の午後問題が起きたとの報道がありましたが?
パー:そうだ、それがエンジン使用数に関係するほどの問題になるかどうかはわからない。しかし、いずれにせよバリチェロにはエンジンが2基残っている。今週末バリチェロは新しいエンジンを使い、ブラジルで新しいものを投入する。
 
Q:必要以上にあるくらいでしょうか?
パー:たくさんあるね。

Q:アブダビでの若手ドライバーテストについて全員に伺います。そこで走らせるのはどのドライバーになるでしょうか、まだ、チームに加えることを考えて彼らを評価するのでしょうか?
トスト:アブダビではジャン・エリック・バーグを走らせる。フランス出身の20歳だ。彼は今年のイギリスF3選手権に優勝して、ルノー・ワールド・シリーズでシルバーストンを走ったときも素晴らしかった。第1レースを勝って、第2レースでは2位になった。アブダビで彼のテストをするのが楽しみだよ。けれど、来年のわれわれのドライバー布陣はハイメ・アルグエルスアリとセバスチャン・ブエミだ。
 
Q:アブダビでは2日とも彼を走らせるのですか?
トスト:イエス。
 
Q:ノルベルトは?
ハウグ:若手についてはまだ最終決断を下していないけれど、できれば1人はメルセデスのプログラムから選びたいね。まだ最終的には決めていない。
 
Q:来年に向けてもそれが全てですか?
ハウグ:全てそのまま、今のままだ。
 
Q:アダムはいかがですか?
パー:1日はF2選手権優勝者のディーン・ストーンマンのために空けてある。もう1日については未定だ。来年のドライバー布陣についても未定だ。
 
Q:フランツ、今年は自分たちだけのクルマを設計、開発、製作しますね。これは今までになかったことです。
トスト:われわれはまだトロ・ロッソでの設備を整えているところなんだ。つまり、新しい人員を雇っている。今年の9月1日に空力部門から初めて、2交代シフトを組んで仕事を進めていて、製作と同時に仕事自体も2交代シフトになっている。これまでのところ予定通りに進んでいる。先週の水曜日には来年のモノコックできたよ。ようやく型が上がってきたところで、今のところすべてがとても順調に進んでいるよ。僕たちは他のチームほど大きくはないけれど、雇用者の人数もこの先数ヶ月で増えるし、われわれは正しい道を進んでいると確信しているよ。

Q:ヒロシサン、とても感傷的な瞬間でしょうね。あなたがブリヂストンが迎える最後の日本GPです。教えてください。過去を振り返って、どのように始まりましたか?
安川ひろし(以下、安川):われわれのモータースポーツの歴史は1976年に始まりました。1976年と1977年には富士で開催されたF1にタイヤを供給しました。そのとき、いつかF1に参戦したいという夢を持つようになったのです。とても長い道のりで、同時に私たちの会社はとても小さかった。偶然にも、1980年にホンダがF2でモータースポーツに帰ってきました。そして、1981年にはF2に参戦し、ライバルはピレリでした。その後、確か2年目でしたか、ピレリが撤退し、ミシュランが参入してわれわれは負けることが増えてきました。とても厳しい1年でしたね。F3000に参戦していた1983年に、会社から「ひろし、日本に帰って来い」と言われたのです。その後、ル・マンや多くのレース、カテゴリで戦ってきたのです。そして確か1991年だったと思います、メルセデス・ベンツからDTMへの誘いを受けました。そのときもまた、ミシュランがライバルでした…。DTMに参戦し、またインディカーでも戦っていましたが、そのときノルベルト・ハウグが私にとても強いPenskeチームを紹介してくれたのです。とてもいい結果が出ましたが、いつかF1に参戦したいという夢は持ち続けていました。その後、1997年に参戦し、1998年にはメルセデス・ベンツ・マクラーレンと共にワールドチャンピオンになり、そのときもとてもいいライバルがいました。しかし、われわれはいつも負けてきたのです。今、タイヤサプライヤーはわれわれだけになり、非常に残念なことですが、今季終了時に撤退することになりました。

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