ディフェンディング・チャンピオンとして、初めて迎える今シーズン。チャンピオンを獲得したブラウンGP(現メルセデスGP)には残らず、名門のマクラーレンへ電撃移籍したジェンソン・バトン。
8歳でカートを始め、2000年ウィリアムズからF1デビューを果たす。2001年、ウィリアムズからベネトン・ルノーにレンタル移籍となり、競争力に欠けるマシンに苦しみ、ポイントを獲得できたのは1回のみだった。
2003年、B・A・Rホンダへ移籍、チームメートは1997年のF1チャンピオン、ジャック・ビルヌーブ。常にビルヌーブを上回る速さを見せる。2004年、コンペティティブなマシンを手にしたバトンは、表彰台にあがるようになり18戦中16戦でポイントを獲得し、年間3位で終える。ホンダF1となった2006年、荒れたレースとなったハンガリーGPで見事初優勝を果たす。F1デビューから113戦目で初めて表彰台の真ん中に立った。
2008年シーズン後、ホンダのF1撤退発表記者会見で、バトンとの契約を交わしていたことが明らかとなるが、ホンダF1の行方が未定のまま2009年の年が明ける。ロス・ブラウン(チーム代表/ブラウンGP)がホンダF1を引き継ぐことになり、バトンは契約金が半額になってでもブラウンGPとの契約を締結。開幕戦から速さを見せつけ、ポール・トゥ・ウィンで自身2度目、ブラウンGPにとってデビュー戦でいきなりの初優勝をもたらす。
2009年シーズン序盤は表彰台にあがり続けたバトンだったが、第8戦イギリスGP以降、思うようなレースができなかった。シーズン最終戦にむけて着実に完走を果たし、最終戦アブダビGPではマーク・ウェバー(レッドブル)との2位争いを繰り広げる。結局3位でのフィニッシュだったが、その走りに魅了されたファンも多いようだ。シーズン序盤に優勝を重ね大量ポイントを獲得したバトンが逃げ切って、自身初となるチャンピオンを手にした。
F1デビュー10年目にして悲願のチャンピオンを手にしたバトンは、2010年をマクラーレンと過ごすことを選択。第2戦オーストラリアGPで移籍後初優勝。第4戦の中国GPでも優勝し、タイトル2連覇にむけてリードするかに思われたが、レッドブルやフェラーリ、チームメートのルイス・ハミルトンが競争力を発揮。バトンは優勝から遠のいている。